2008年6月22日日曜日

「IMD学長、日本の競争力が低ランクに甘んじている理由とは・・・」

IMDとは、スイス・ローザンヌにあるビジネススクールである。同学長であるジョン・ウェルス氏は、日本の競争力が低ランクに甘んじている理由について、日経BP記事において紹介している。

同氏は次のように指摘している。
「とりわけ、経営幹部への適切なトレーニングが重要です。国際的経験があり、起業家精神を持ち、外部の考え方に注視しそれをうまく取り入れる姿勢を備える必要があります」

つまり、現代社会では、企業を取り巻く環境変化が激しいために、『全社が一枚岩になって物事を動かす』ことが、現実的にはかなり困難となっている。また、企業の経営者に対して、リーダーシップとしての役割が重要となりつつあるという。

*「IMD - Announces its new President: Dr John R. Wells」(YouTube)

それでは、企業がこれらの環境変化に対応していくためにはどうしたらよいのだろうか・・・・?!

ウェルス氏は次のように助言している。
「日本の企業は、革新的になるために、もっと行動を起こすべきだと思います。その場合に、違うカルチャーを吸収するなどとは、考えない方がいいです。組織の中で、構造的に、社員に自由裁量を与える方法を見つければいい」

ここで思い出されるのが、P.F.ドラッカーの言葉である。
同氏によると、「マネジメントとは、かつては、(管理としての)『部下の仕事に対して責任を持つ者』であった。つまり、マネジメントとはボスであり、また、地位と権力を意味していた。

しかし、「Time has been changed」(時代は変わった)。
いま、マネジメントの定義とは、『知識の適用と知識の働きかけに責任をもつ者』へ変わりつつある。いや、変わってしまったという。すなわち、『知識』が中心的な資源と見られるようになった(欧米企業では)。

欧米社会、特に、米国社会のポスト資本主義社会(脱資本主義社会)に向けた動きは早かった。米国企業は、「産業革命」「生産性革命」を経て、「マネジメント革命」に取り組んだのである。

その背景には、「知識の高度化」が指摘される。個々に、サイロ化された分野において、高度な専門的知識が求められるようになったからだ。

個人的な意見になるけれども、もしかすると、サイロ化された高度な専門知識を束ねるアプローチにこそ、無限の可能性が期待できるのではないか・・・と思う。その時、「知識」が大きなナビゲータの役割を果たすに違いない。いま、われわれはそのターニング・ポイントに直面しているのかもしれない。

果たして、リーダーシップとは何か・・・・?!
もしかすると、無限の可能性を信じた若き開拓者たちが、率先して行動し、「知識」と「知識」を衝突させながら、自由裁量の獲得に向けて自分自身が行動起こすことなのかもしれない・・・・。



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